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京都大学卒が明かす 京大に入れる子どもの育て方

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高校3年間、みっちりと勉強して、私は京都大学に入学することができました。

どのような環境で育ったのか、育てられた側として振り返ってみます

私も生後6ヶ月の娘がいるのですが、京大とまでは言わずとも、ある程度は勉強ができてほしいなと思っています。

残念ながら、今の日本は学歴重視の社会です。社会に出るとき(就職活動のとき)、社会に出てから、なにかと大学は出てきます。逆に、大学さえいいところに行っておけば、将来が比較的安泰ということです。

子どもにはのびのびと育ってほしいと思っている親もたくさんいると思います。私もその一人です。なにも小さい頃から勉強させるのが、勉強のできる子になるかというと、そうでもないように思います。

実際、私は

勉強しなさいと親に言われた記憶がありません

それでも、京大に入れてるのです。

あくまで私の場合なので、どの子でも当てはまるというわけではありません。私個人の体験として、「こういうこともあるんだな」という程度で考えてもらえればと思います。

目次

1.育った環境

私は、普通の大学卒の父親と、高卒の母親のもとで生まれた、ごく一般的な家庭で育ってきたと思っています。父親か母親がすごい賢いわけでもありません。

普通に旅行に連れていってもらったり、遊園地に連れていってもらったり、楽しく過ごしていました。

特段、英才教育を受けたりなんてこともありません。

母親は専業主婦なので、私が小さい頃は特に、付きっきりで見てくれていました。小さい頃は何をするのも母親と一緒で、父親とは、休日にキャッチボールをしたりして遊ぶことが多かったです。

なので、幼少期にたっぷりと愛情を注いでもらったのはいうまでもありません。

もしかすると、この愛情によって、「自分は愛されているから大丈夫だ」という自信が自分も気づかないほどの深層心理にあって、失敗してもくじけずに成長できたのかもしれません。

いずれにせよ、今の20代後半にとっては、よくある一般的な環境下で育ってきましたのではないでしょうか。

2.「勉強しなさいと言わない」という教育方針 

家の教育方針は、特にありませんでした。

特にないというより、

「勉強しなさいと言わない」が教育方針

なのかもしれません。

私は、小さい頃から特に勉強しなさいとは言われませんでした。塾にも小学校6年生の間の1年だけ通いましたが、それ以降は通っていません。

小学校・中学校も公立の学校で、のびのびと過ごしてきました。

高校は進学校に入学したので、そこからは勉強の生活です。しかし、その学校は私自らが選びました。あまり取り柄のなかった私ですが、勉強は少しできたので、それを伸ばそうと思ったからです。

どうして自ら進んで勉強するまでに至ったのでしょうか。世の中には、勉強しなさいと言われても、全然しない子どもがたくさんいるというのに。

おそらく最初のきっかけは、進研ゼミをはじめた頃だと思います。(進研ゼミの宣伝ではありませんが(笑))

勉強をしてもらいたかった母親が、「進研ゼミやってみる?」と、疑問形で言ってくれたのです。つまり、私には勉強をするかしないかを自分で選べたのです。

当時、「教材が楽しそうだな」、「頑張ったらごほうびでおもちゃがもらえる」といったことを考えて、「やりたい」と言いました(笑)

みなさんお気づきかもしれません。そうです。私の主体性を尊重してくれたのです。

まんまと母親の策略にはまっているのですが、勧められはしたものの、自らやりたいと言った以上、途中で投げ出すのもどこか嫌なのです。

このように、私に選択権を残したまま、主体性を大切にしつつ、勉強の道を進んだわけです。

なにも、進研ゼミが素晴らしかったわけではありません。(進研ゼミをやりたいと思ったのは事実ですが)母親の勉強の勧め方が素晴らしかったのだと、今ならばわかります。

子どもは抑圧してしまうと、反抗したり、主体性がなくなって、何をするでもやる気がない子に育ってしまったりとするようです。そういったことを母親は知っていたのかわかりませんが、完璧な対応をしてくれていたのです。

ところで、勉強を勧めてみて、私が拒否してたらどうしたのでしょう?おそらく、その場はあっさり引いて、後日また勧めてくれたのだと思います。どうしてもダメであれば、勉強の道を勧めないまま、別のことを勧めてくれたかもしれません。

このように、子どもにとってもタイミングというのはあります。親のいうことを聞くだけが子どもではないのです。

高校入学まで進研ゼミは続けて、高校からは進学校である高校に、すべてを任せました。塾も行っていません。

3.自分のことを信じてくれる親がいた

高校時代はひたすら勉強してました。特に2年生の夏からは本当に勉強漬けでした。

そのとき、親はとても協力してくれました。なにか指摘するわけでもなく、私のやりたいようにやらせてくれました。参考書がほしいと言っても、必ずお金は出してくれますが、口は出しませんでした。ある種の放任主義ですが、それが私にとってはちょうど良かったです。

完全に私のことを信じてくれていたのです。

それが私のやる気を後押ししました。これほどまで、自分のことを思ってくれているのだから、応えたい!という思いでいっぱいでした。夜勉強していたら、そっと、夜食を出してくれる。朝早起きして勉強頑張ると言えば、一緒になって起きてくれる。そこで、何かするわけではなく、いつも通り朝ごはんを準備してくれたりと、寄り添ってくれる。

親のそういった気遣いを、子どもは敏感に感じ取っています。

なかなか愛情が伝わっているのかわからない。と悩んでいる親も、しっかりと愛情を注いでいれば、必ず子どもは感じ取っています。そしてそれが、大きな力になっています。

私の場合は勉強でしたが、他のことに対しても、努力をする子に育つと思います。

大切なのは、子どもを信じることです

ただ、難しいことは、放任主義にならないことです。信じているからほったらかしにしているというのはダメです。ほったらかされているというのを、子どもは感じとります。適切な距離で接することが必要なのです。

4.まとめ

京大に入ったから偉いというつもりは全くもってありません。京大生にも社交性がなかったりと社会に出るのが不向きな人もたくさんいます。

ただ、少なくとも京大生は、京大に入るだけの努力をしていると言えます。それが、就活のときに、学歴で見られてしまうという理由のひとつでもあると思います。学生の頃に誰しもがする勉強、しかも大抵の人は嫌がる勉強を、努力して努力して、偏差値の高い大学に行けているという店が評価されるのです。

一番分かりやすい「勉強」という努力をしているので、他のことに対しても、努力するということはできるだろうと判断するわけです。

いろいろと書きましたが、親としてできることは、子どものやりたいことを信じて、やらせてあげるということだと思います。子供のやろうとしてることを否定したり、無理に嫌がることをやらせたりとしてはいけないと思います。

少なくとも私は、信じてくれる親がいたからこそ、ここまで努力できたのです。

信じるというのは非常に難しいですが、信じてくれる親がいる子どもは、とても幸せだと思います。実際、私は幸せ者だと思ってます。

以上、親目線ではなく、育てられた子ども目線で育児について書いてみました。

当たり前ですが、みんな育児の経験は、初めはありません。もちろん家の親もそうです。

初めから完璧な育児はできないのは当たり前です。徐々に子どもと共に成長していけばよいのです。私の親もそうだったと思います。

皆さんも、私の育てられ方を1つの育児の参考にしてもらえればと思います。

私の娘にも応用してみようと思います。

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